種子島宇宙センター大型ロケット発射場の歴史
どうして鹿児島県の種子島にロケットの発射場をつくったのでしょうか。
地球は、西から東へ自転しています。ロケットを打ち上げるとき、その地球の自転の力(速度)を使うようにすると、打ち上げに必要な燃料が少なくてすみます。地球の自転速度は、赤道に近ければ近いほど大きくなるので、できるだけ赤道に近い場所から、東向きにロケットを打ち上げるのがベストです。
1960年代ごろ、赤道に近く、東側に海があって、障害物や人家がない条件の場所を探したところ、伊豆諸島、内之浦、種子島が候補に上がりました。より赤道に近い沖縄は、まだ米国の占領下にあったため、候補には入れられませんでした。そして、当時の科学技術庁とJAXAの前身であるNASDA(宇宙開発事業団)は、種子島を選びました。
1986年、H-IIロケットの発射場として、大型ロケット発射場の建設工事がはじまり、総工費約500億円をかけて 1991年9月に完成。その後、H-IIロケットの後継機であるH-ⅡAロケットのために、約250億円をかけて設備を増やし、2000年3月に完成しました。こうして、種子島に日本の大型ロケット発射場ができました。種子島宇宙センターには、大型ロケットの組み立てから、整備、点検、燃料を入れて打ち上げを行う場所として、50年以上の歴史があります。